Apr 20, 2011
一石二鳥のスポーツクラブ
成人すると、なかなか友達を作るのが難しくなる。同じ趣味といっても、習い事お金を賭けているとも限らない。しかし、スポーツクラブは趣味ではなく、健康を考えている個人を行っているが、そこには様々な機関とのスポーツを豊富に準備しているので、そこに様々な人が集まります。スポーツクラブに行くと、人と出会う場でも健康になる場所でもあると思います。競技場で、プロサッカーチームのサポーターは、選手のようなサッカーのユニホームを着て、声援を送ることで、その場をより身近に楽しむことができます。ピッチに立つ選手たちにとっても、観客席に自分たちのサッカーユニフォームを着たファンがいると、まるで味方の人数が増えたようで、再び力が湧いて上がるかもしれません。
◇団体戦1年男子
第23回山中湖ワールドジュニアソフトテニス選手権大会(ワールドジュニアソフトテニス協会主催、毎日新聞社、文部科学省後援)夏季大会最終日は18日、山中湖村平野で団体戦決勝リーグ戦と決勝トーナメントを行い、中学1〜3年男女各部門の優勝チームが決まった。
1年生男子では台湾の竹仁國民小学が優勝し、甲斐市から出場した市立敷島中が2位に入った。
大会は15日から115団体、個人戦342ペア、団体戦320チーム、約2000人の中学生選手が熱戦を繰り広げた。【小田切敏雄】
団体戦各部門の優勝チームは次の通り。
【中学1年男子】竹仁國民小学(台湾)
【同女子】west田原クラブ(愛知)
【中学2年男子】厚木市立小鮎中(神奈川)
【同女子】羽村市立第2中(東京)
【中学3年男子】御殿場拓馬テニスクラブ(静岡)
【同女子】御殿場拓馬テニスクラブ
8月19日朝刊
【関連記事】
高校総体:鳥取城北の佐々木が初優勝…相撲個人
高校総体:宮城・聖和学園が初戦突破…ハンドボール女子
高校総体:郷土の友と健闘誓う…原発影響で避難先から出場
全国高校総体:北東北大会 鳥取城北・佐々木、初優勝−−相撲個人
全国高校総体:北東北大会 宮城・聖和学園、初戦突破−−ハンドボール女子
◆出征した夫、長男と待ち続けた−−鈴木はなよさん(87)
◇戦後、親の農業を手伝い生活 女性らとブドウ売って生計
◇自分でこの子守らねば
夫、牛田正一さんが出征して10日ほどがたった1944年10月30日ごろ、鈴木はなよさん(87)=甲州市=の元に正一さんから電報が来た。北九州の門司を出発したと記されていた。行き先は記載なし。「無事でいて」と祈った。さらに10日後、はがきが届いた。文面は「無事に着いた」だけ。裏を見ると、消印は沖縄県の那覇。部隊名が書かれていた。以後、正一さんからの連絡は途絶えた。
はなよさんは甲州市(旧勝沼町)の自宅で長男を育てながら、連日、松根油作りのために、近くの柏尾山まで松の根を掘る作業に駆り出された。当時は国内中が燃料不足だった。死ぬ覚悟で出征した人たちのことを思い、必死で掘り続けた。手はまめだらけになった。正一さんのことを考えない日はなかった。
45年夏のある明け方のことだ。笛吹市の実家で寝ていたはなよさんは、体をゆすられたように感じた。枕元には軍服姿の正一さんがいた。「子供を頼むぞ」と一言残し、消えた。跳び起きた。夢だった。「もう駄目だ」と伝えるために会いに来たのではないか。涙が止まらなかった。
まもなくして、戦争は終わった。周りでは、出征した人たちの生死が、ぽつぽつと知らされてきた。レイテ島に出征していた兄の戦死公報が来た。無事に帰ってきた人もいた。
正一さんは消息不明のまま。戦傷病者の援護活動などを行っていた県の担当部署に相談に行ってみた。しかし、職員は「沖縄は玉砕地だから、お骨はおそらく戻ってこないだろう」と話すのみで、手がかりは得られなかった。 戦後1、2年は、はなよさんは、先行きがまったく見えなかった。親の元で農業を手伝いながら、食べ物も分けてもらって何とか生活していた。
自宅近くの公園には、一生懸命掘った松の根が山のように積まれ、野ざらしになっていた。皆の汗や涙が無駄になった気がして、むなしかった。
長男と死のうと思ったこともあった。長男に新しい服を着せて正一さんの墓参りをし、「最後に食べたいものを食べさせてやろう」と甲府市の岡島百貨店食堂へ。帰り道、「一緒にお父さんのところに行こう」と問いかけると、長男は「嫌だ」。この言葉で我に返った。「いつまでも親の世話になっていてはいけない。自分で働いてこの子を守らないと」
戦争で夫を亡くした女性たちと共に、近所の農家からブドウを仕入れ、八王子の市場で売り始めた。必死で働いた。
* * *
昨年1月、地元老人クラブが戦争体験集をまとめた。はなよさんも文章を寄せた。正一さんが出征する時のことは、近所の人たちから「おめでとうございます」と言われて「胸が張り裂ける思いでした」と記した。
戦後66年の今夏、はなよさんは記者に語った。「戦時中よりも戦後の方がつらい。出征した人たちが帰ってくる家もあったんですもの。でもこの経験は私だけが特別ではない。あの時代は誰もが悲しい思いをしたんです」【山口香織】
8月19日朝刊
【関連記事】
北方領土:荒れた墓…守る人なく
終戦記念日:戦後66年 再び誓う復興…全国戦没者追悼式
終戦記念日:「お父さん」呼んでみたかった 遺族代表
終戦記念日:二つの体験語り継ぐ 釜石市平和委員会会長
終戦記念日:仮設で迎えたこの日 戦争で父、震災で夫失い
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.