Jun 12, 2010
フォトフェイシャルによるにきび対策
にきび跡や沈着した色素の悩みは、フォトフェイシャルをお勧めします。沈着色素のフォトフェイシャルの光が作用し、目立たないようにしています。現在、できるにきびは、フォトフェイシャルアクトネスと呼ばれる特殊な波長の光を用いて治療します。にきびの原因菌を殺菌する効果があるため、効果が持続されている数ヶ月の間ににきびが難しい状態になります。アンチエイジングの努力をいくら続けてもタバコを吸っていると、全く無意味になってしまうそうです。とにかく言う私も喫煙者。タバコは吸うたびに体内のビタミンCを破壊しています。タバコをやめることができない分、ビタミンCが多く含まれているサプリメントなどを摂取していますが、あまり役には立っていないですよね。アンチエイジングを本気で考えてタバコをもうやめておこうと思っています。
25日発表の大相撲名古屋場所番付で、美郷町出身の華王錦関(32)=本名・村田武志、東関部屋=の新十両が決まった。学生出身で、初土俵から10年・所要60場所は最も遅い出世。華王錦関は「部屋の先輩の(高見)盛関に少しでも近づきたい」と意欲を新たにした。(スポーツ面参照)
八百長問題で大量の追放者が出て、戦後最多13人が十両昇進。華王錦関は西幕下3枚目で5勝2敗の好成績、十両力士にも3勝した。両国国技館での会見では「25日はおばあちゃん=村田テツノさん(86)=の誕生日。テレビで応援してくれ、(生放送がなかった)今回はインターネットで見ていてくれた。いいプレゼントになった」と喜んだ。
旧・仙南村出身。小学校では陸上トラック種目で県大会優勝の経験もある。父が奉納相撲で優勝するなど相撲にも縁があり、大曲農高から専念。東洋大主将として磯部(十両・磋牙司)、木村(幕内・木村山)とともに00年全国学生選手権を制した。
01年夏場所初土俵。1年半で幕下に上がったが、腰椎(ようつい)ヘルニアや膝痛で苦しみ「3週間の車いす生活で、食べてもやせた」と苦闘を振り返る。
長年務めた高見盛関の付け人も卒業だ。高見盛関は「名参謀がいなくなるのは寂しい。でも出世は成長の証拠」と喜ぶ。
早々に帰郷し、秋田で各方面に昇進あいさつに出向く。「地元の大きな期待も実感している。頑張ります」と語った。【上鵜瀬浄】
5月26日朝刊
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◇海を離れ、家は高台に
空の明るさと海底の暗さが目まぐるしく入れ替わる。「洗濯機の中にいるような感じだった」。83年の日本海中部地震で津波にのまれた能代市落合、大高康伸さん(58)は、そう振り返る。
当時は能代港で港湾作業員として働いていた。同港では能代火力発電所建設用の埋め立て工事が進められており、防波堤などで作業していた作業員34人が亡くなった。
大高さんはこの現場で働き始めてからまだ2週間ほど。台船の上でのクレーン操作を担当していた。
津波に先立つ地震では、「ドンドンドン」と機械でコンクリートを割るような大きな音と振動を感じた。すぐ「津波が来るから逃げろ」という叫び声が聞こえた。ケーソンで区切られた内海のあちこちに高さ約70センチほどの波が立っていた。
ケーソンは高さ4メートルあり、その上に3メートルほどの波返しが付いている。大高さんは「波は防波堤を越えてこないだろう」と思った。様子を見るために防波堤のはしごを登り上半身を乗り出すと、波に乗った作業船が空に向かって上がっていくように見えた。次の瞬間、津波にのまれた。
海水の中で息が苦しくなったが、水中の大きな気泡のようなもので息を吸った。当時幼稚園児だった長男の顔やその日の通勤途中に偶然再会した中学時代の恩師が走馬灯のように頭を巡った。
だが「今まで生きてきた中で悪いことは何もしていない。だから絶対死なない」と信じ、必死で水面を目指した。救命胴衣を着ていたこともあり、無事に浮上。浮かんでいた材木を足がかりに台船によじ登った。
津波は第2波、第3波と繰り返し押し寄せ、台船の上で不安なまま過ごした。2〜3時間後にタグボートに救助された。助けられるまで痛みは感じなかったが、全身を打ち、あちこちに内出血の痕が残った。さらに数年後、腹部に残った血の塊の摘出手術を受けた。
大高さんの近くにいた15人ほどの作業員は、大半が亡くなった。大高さんは「こうしたから死ななかったという理由はない。生と死の線引きは運だけだ」と話す。
それでも、地震後すぐ港湾の仕事は辞めて海を離れた。別の建設会社などを経て、現在は林業に従事する。自宅を建てた時は、高台にある地盤の固い場所を選び、在来工法ではなく耐震性の高いツーバイフォー工法にした。
東日本大震災では、津波で自宅を流された被災者らが、安全な高台に移住するか、生活の基盤がある元の場所に再建するかの議論が続いている。「難しい問題だよ」。28年間考え続けてきた大高さんでも“正解”は出せない。=つづく
5月26日朝刊
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